第二次大戦中、照蓮寺に学童疎開していたという方でした。
昭和19年、東京荏原区大間窪国民学校より93名の子どもたちがこちらに学童疎開していました。
その時小学5年生だった少年が、現在は82歳となられました。
本堂に入られて、いろいろな記憶が蘇ってきたようでした。
もののない時代に立山町までお米を調達に行って、白米を食べさせてもらったといいます。
「今生きているのはこの寺のおかげ」
感慨深く境内を歩き、思い出の松の下で記念撮影をしました。
「死ぬまでに一度ここに来たかった。僕にとっては聖地。これでいつ死んでもいい」
門から出て行かれる際に、何度も振り返って手を振ってくださいました。
大変幸せそうで、こちらも嬉しくなりました。
明日も前を向いて歩こう!