お米 2017.10.29 寺の報恩講にお米のご懇志をいただきました。昔は沢山の方々がお米を持って寺に来られたのですが、現代はお米で懇志を納められる方が随分と少なくなりました。こうして自分のところの田んぼで取れたものをお供えすることには意味があると思います。自然を相手にしている方がよくおっしゃいます。「よくも悪くも自然が相手だから、どうにもならんこともあるって」人間の力を超えるものを相手にしている方の考え方です。そのような感覚は仏教に触れる上でとても大切なことだと思います。 前の記事 一覧を見る 次の記事