仏の救いを疑うことなく念仏をたった一度でも称えると、この上ないご利益を得られるのである。なぜならば、名号には阿弥陀仏のすべての徳が備わっているのだから。という意味合いであると私は受け取っています。
私たちが称えるもののなかにたとえ私たちが気付かなくてもはたらきが宿っているから、完全に理解ができなくともそのはたらきは相手に届くのです。
人は滅ぶと何も残らない。
そういう考えが根底にあると、生きているうちに好きにしないと損だとかいう間違った考え方になってしまいます。
あるご門徒さんは水橋の郷土の研究を自分の時間を費やして行っておられました。
いくつかの書籍を発刊し、地元の有名人でした。
先日、その方のお葬式をおつとめしました。
14年前、その方と玄関先で口論になったことを思い出します。
今となって思えばその方が大切にしておられたことへの私の理解が足りなかったのだと思いました。
その方の遺されたお書物を読み返すと、水橋の郷土のことのみならず、それを書かれた筆者の思いや人柄さえも感じられます。
人は滅ぶと何も残らない。これは間違いだと思います。
遺したものを通して、その人を感じることができます。
関わった人たちを通して、その人を感じることができます。
どんな生き方やいのちでも必ず意味がある。
そんな充実したいのちを生きられたらと思います。