前を向いて歩こう~お寺ブログ~

しつけ糸

2018.05.31

私たち僧侶も衣替えの準備をします。

冬の衣から夏の衣へ交代します。

私の祖父が存命の時には、夏の衣などというものはまだありませんでした。
今ほど夏も暑くはなかったとはいえ、汗だくになってお参りされていたことでしょう。

さて、大切な衣の汗じみなどを取るためにお洗濯に出していたので「しつけ糸」が付いた状態で返ってきました。
しつけ糸は衣の生地がズレたりしないように付けられています。
ですから、使用する時にはもちろん切り外します。使うまでに要るものであって使うようになったら要らないものになるのです。

「しつけ」とは漢字で書くと「躾」と書くのが私たちのよく知るものでしょう。身だしなみを美しくするという意味でしょうか?これは日本で生まれた漢字なんだそうです。

ですが、別の意味もあるようです。それが「着物の仕付け」と言われる「仕付け」です。
着物が縫い上がる過程にはズレないように仕付け縫いがされていて、着物が出来上がって袖を通すことができるようになった時に仕付けの糸は必要なくなり、またあってはいけない存在となるのだそうです。

子育ての場面でよく言われる「しつけ」とはどちらのことを言うのでしょう。
我が子の身だしなみをきれいに見せることなのか、それとも子供が仕上がるまで(独り立ちできるまで)ズレないように守って、いよいよ社会に放り出す時に距離をとって遠くから見守るのか。

いずれそれ自体が要らなくなるのが「しつけ」の理想なんだと思います。

親も人だから迷います。
「うちは、ちゃんと!しっかり!きびしく!しつけしてます!」
という言葉が強ければ強いほど、なんだかズレちゃっているように思います。
いつか独り立ちして親が要らなくなる時を楽しみにしつけします。
そういう私はまだ親に心配ばかりかけていますが…

明日から衣替え。
しつけ糸をハサミでパチンっと切ってまた大切に袖を通させてもらいます。




















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