自分のことだけ考えて日々を過ごすよりも、
相手がこれを言われると、これをされるとなんて思うかを考えて行動することが大切です。
そして相手にどんなふうになってもらうかを考えなければなりません。
浄土真宗の寺として
僧侶として
一つひとつの事柄が教えに沿っているかどうかは
誰でも考えられるし、すぐに判断できることです。
ですが、その自分の確固たる道があったとして、
そこから一歩でも逸れたことに対して、
「それは違うから」と簡単に切り捨てることができるでしょうか?
そうだね、と相手に理解を示しながらも、
いずれは自分の思う道に誘引していくことに相手への思いやりがあるのではないでしょうか。