お盆です。
先祖の魂がこの世にやってくる、などのいろいろなエピソードは他の信仰のようですが。
仏教においてお盆の成り立ちは、目連尊者のお話によります。
お経のなかには、目犍連とも言われて、登場されるお釈迦様のお近くにおられたお弟子です。
多くのいのちを供養することで餓鬼道に落ちた母を救うというエピソードです。
ここで思い返したいのは、その発端の「母は今どうしているだろうか?という母を案ずる心」です。
まず、これが欠けていてはこのお話は成立しなかったわけです。
「母はいまどうしておられるだろうか?」と思う純粋な思慕の心がこのお盆の発端だろうと味わわせていただきます。
お盆をお迎えするこの頃、我が身を削って私を育ててくださった母を思う機会としたいと思います。