2017.12.23
学校から持って帰ったネギ。
学校で育てたネギです。
夏休み前からいろいろお世話をしてきました。
たかがネギ。
されどネギ。
自分で育てたものには愛着が湧くんでしょうね。
自分で切りたいと言い出して、慣れない包丁でバスバス切り刻んでいました。
食べて味わう前から美味しいと言ってネギを口に運んでいました。
自分で心込めて育てたものは、食べ物であれば食べる前から美味しいと思えるようです。
時々、物事は結果ではなくてそこに至るまでの過程が大事だったりします。
もちろん結果も大切ですが、結果だけが評価されるのであれば、「もっと楽して結果を出したい」とか、人はきっとズルいことを考えたりもするでしょう。
ふと昔を振り返ると、結果はあまり思い出せませんが、悔しかったことや辛いことに歯食いしばって踏ん張っていた時の方が覚えているものです。
結果ばかりを見て「すごいねー」と言われるよりも、その過程を見て「頑張ったね」と言われることの方がより実りある生き方ができるのでは、と思います。
2017.12.22
いつもお世話になっている地区センターの年末の大掃除。
地域の関係団体の皆さんが集ってみんなでお掃除します。
いつも使っているところも、よく見ると蜘蛛の巣がいっぱい。
いかに普段目が届いていないかを思い知らされます。
「来年はこんな事業をやってみたいな」
「今度はこんな風に工夫してみよう」
「次はあの人も誘ってみよう」
掃除の作業自体は単純なものですが、そこに前向きなお互いの思いが交わってとても有意義な時間を過ごすことができます。
また次への意欲がわいた、いい出会いでした。
2017.12.20
タイヤがパンク。
タイヤからシューっと音が漏れているので不審に思っていたら、タイヤがぺちゃんこになっていました。
尖った小石がまっすぐ刺さって穴が開いていました。
ツイてないなーと思いましたが、これも含めてご縁ですね。
しかし、よくよく振り返ると、小さな穴があいただけであの大きな乗り物が動かなくなるなんて不思議ですね。
ほんの小さなきっかけが、後々大きな影響を及ぼす。
私たちの生活の中にもそのようなことがたくさんあるのかもしれません。
2017.12.19
ふと見ると今月の広報が...
こども食堂の記事が一面に大きく掲載されていました。
地域が元気になっていくことはうれしいことです。
しかし、人口があまりにも少ない。
これが一番の問題。
右肩下がりの現状に何か対策をしなければいけないのに、
未だに誰もそこに手をつけないのは何でだろう。
他の地域から水橋に魅力を感じて移り住んでくる方を増やすのは大変なこと。
水橋生まれ、水橋育ちの人が将来水橋に住みたいと思うようなまちにしなければいけません。
人がいなければ何があったとしても意味がない。
2017.12.18
以前から気になっていた棚の塗装にチャレンジ。
湿気がひどく、塗装されていない部分にカビが目立ってしまっていました。
年末の大掃除のついでに塗装して気持ちよく新年を迎えます。
養生をしてからムラがでないように丁寧に塗っていく作業。
専門業者が簡単にできることも不慣れな素人にはなかなか難しいものです。
仕上がってみると、手作り感があっていいものです。
塗装したての臭いで、頭がユラっとしますがそれも徐々になくなっていくと思います。
今年もあとわずか。
2017.12.13
年末のすす払い。
本堂の大掃除です。
門徒の皆様、ありがとうございました。
仏具や畳を移動する際に、
「見えにくいけどやっぱり汚れてるね」
「あ!はずれちゃった。壊したかしら」
なんて言いながら、和気あいあいとお掃除ができました。
いよいよ年の暮れですね。
2017.12.10
毎年、雨どいが詰まって大変。
そんな時、これ使ってみたら?ってご提案がありました。
雨どいにピッタリはめ込むタイプのもので、葉っぱが入らない構造になっています。
1ヶ月ほど使わせていただきましたが、なかなか良好。
松のような細い葉っぱは隙間を縫って雨どいに入り込みますが、
ケヤキの葉っぱは完全にガードしてくれます。
これなら雨どいが詰まって大洪水ということもなさそうですね。
これはいいです!
2017.12.08
地域の会議に出席してきました。
まちづくりに関する会議だというので、参加の依頼が来たようです。
17小学校区の地域の活動の発表があり、その後講演がありました。
その中のいくつかのキーワードに共感しました。
「まちづくりの行動に必要なものの第一位は、仲間である」
「人が育つところには人が集まる」
立派な施設やお金、時間があっても仲間がいなければ、人がいなければ意味がない。
もしもまちを変えたいなら、地域の仲間を集めよう!
2017.12.05
『それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと』(仏説無量寿経より)
仏の救いを疑うことなく念仏をたった一度でも称えると、この上ないご利益を得られるのである。なぜならば、名号には阿弥陀仏のすべての徳が備わっているのだから。という意味合いであると私は受け取っています。
私たちが称えるもののなかにたとえ私たちが気付かなくてもはたらきが宿っているから、完全に理解ができなくともそのはたらきは相手に届くのです。
人は滅ぶと何も残らない。
そういう考えが根底にあると、生きているうちに好きにしないと損だとかいう間違った考え方になってしまいます。
あるご門徒さんは水橋の郷土の研究を自分の時間を費やして行っておられました。
いくつかの書籍を発刊し、地元の有名人でした。
先日、その方のお葬式をおつとめしました。
14年前、その方と玄関先で口論になったことを思い出します。
今となって思えばその方が大切にしておられたことへの私の理解が足りなかったのだと思いました。
その方の遺されたお書物を読み返すと、水橋の郷土のことのみならず、それを書かれた筆者の思いや人柄さえも感じられます。
人は滅ぶと何も残らない。これは間違いだと思います。
遺したものを通して、その人を感じることができます。
関わった人たちを通して、その人を感じることができます。
どんな生き方やいのちでも必ず意味がある。
そんな充実したいのちを生きられたらと思います。
2017.12.04
子供達と裏庭の落ち葉集め。
隣の神社から飛んでくる葉っぱがほとんどで、一週間で葉っぱの絨毯ができてしまうほどです。
竹ぼうきなどで葉っぱを集めてゴミ袋に詰めました。
10袋を越える沢山の葉っぱが集まりました。
畑に蒔きたいと言って門徒さんがいくつか持っていかれました。
みんなで3時間ほど作業してようやく終了。
冬本番を前にして、キレイになりました。
庭には見頃を終えた植物が。
ホトトギスもその1つ。
この時期に刈り取っておけば、また来シーズン同じところから育ってくれます。
今週は雪マークも出ています。
いよいよ冬の到来かと思います。