2016.12.24
富山ガラス工房にお邪魔しました。
実は富山はガラスで有名な町だそうで、私もあまりよく知りませんでした。
万華鏡作り体験をしてみました。
筒の中に鏡を入れて、その中に思い思いのガラス玉を選んでキレイな万華鏡ができました。
子供達を見ているとそれぞれ個性が出ていました。
選ぶ玉の大きさや色あい、それに選ぶ時のスピードも三者三様。
どれがいいということはなくて、それぞれ個性があるから色々な万華鏡ができるのです。
極楽浄土の池には大きな蓮の花が咲き乱れているそうで、
青なら青、赤なら赤、白なら白の花の色が綺麗に際立って見えるそうです。
この世では自分をよく見せたいという思いがどうしても残ってしまいますよね。
かっこよく、美しく、知的で、センスよくって、
お金持ちっぽく、それでいて心も美しくなどなど。
自分が元々どんな風だったか分からないぐらい、自分を飾っていることってありませんか?
赤い花なのに青や白に見せなくてもいい世界。
それが極楽浄土というあの世の世界です。
万華鏡はそれぞれがとても綺麗です。大変よくできました!
自分を無理して飾って見せないで、
今日も前を向いて歩こう!
2016.12.23
子どもたちの二学期が終わりました。
これから長い冬休みが始まります。
お寺ということもあり、
夏休みはお盆、冬休みはお正月なので、
なかなか満足に子どもたちをどこかに連れてってあげることもできません。
三人から二学期の通知表を見せてもらいました。
点数もやはり気にはなりますが、
それよりも私が気になるのは、担任の先生の総合所見(学習や生活のようす)です。
二学期で先生が特に印象に残った部分の記載が書かれていました。
「チームのリーダーとして」
「友達にも声をかけ、協力しながら〜」
「〇〇の練習をこつこつと続けています」
「毎日のように隅々まで丁寧に〜」
「よいと思うことを進んで行っています」
親が教えられないことを学校で学んできてくれているんだなと思います。
もしかすると、大人ができないことを子どもたちが出来るようになっているのでは。
人にとって大事なことは教科の学習以外にもたくさんあります。
お勉強だけではなく、もっと大切なことをこれからもたくさん学んでほしいと思います。
子どもたちに負けていられない!
今日も前を向いて歩こう!
2016.12.22
雨どいの掃除をしました。
雨が降るたびに滝のように水が溢れていたので、たまりかねて屋根に上りました。
毎年、葉っぱはよく溜まるものですね。
蓄積した葉っぱや小枝、泥などで完全に水の流れが封鎖されていました。
屋根にとっては、とてもまずいことになっていました。
滑って落ちないように、慎重に移動して雨どいの葉っぱや泥を取り除きました。
ここから落ちたら死ぬかも...
そう思いながらもキレイになるのが段々楽しくなって、
ついつい他の雨どいも掃除してしまいました。
その後、まだ大雨はありませんが、きっとキレイに水が流れてくれると思います。
屋根の上からの眺めは最高でした!
お日様に当たってあったかくなった瓦の上に座って、真東にはキレイな立山連峰が見えました。
こんな風に見えたんだなーとあらためて思いました。
視点を変えると見えなかったものが見えてくる。
なんでもそうですね。
雨どいキレイ!
気分もリフレッシュ!
今日も前を向いて歩こう!
2016.12.20
最近、我が家の末っ子の愛読書は「あの世を旅するガイド 地獄の本」
ボーイスカウトのみんなで立山博物館の立博探検隊に参加してからのことです。
地獄のことを熱心に教えてくださったんでしょう。
家に帰ってからも地獄のことばかり(笑)
地獄のことを真剣に勉強してる我が子に多少の違和感がありますが、実は大切なことです。
地獄は来世にあるのではありません。
自分の中に地獄があります。
獣同士がお互いを中傷する世界、それが地獄だと聞いたことがあります。
よくよく振り返ると、自分がそうなっていないか不安になります。
人を傷つけることで自分の存在を肯定したり、自分を過大評価したりしてはいけません。
そうやって自分を常に省みて、自分を戒めて生きようと思うことが大切です。
たとえそれが自分の理想通りにならなくても。
ダメな自分を振り返りつつ。
明日も前を向いて歩こう!
2016.12.17
サツマイモが届きました。
戦時中、照蓮寺は東京からの学童疎開の引受けをしていました。
先日、当時を懐かしんでいらっしゃったご家族と話をする中で、
寺で開催している「みずはしこども食堂」の話題になりました。
「こどもたちにあったかくておいしいもの食べさせてあげたいんです」
「なかなか食材提供してくださる方が少なくて困ってます」
と言っていたら、
「ここの当時のご住職は食べ物のない時代に、僕たちにあったかいご飯を食べさせてくれた恩人」
「何か手助けできることがあったら。でも地元にはサツマイモぐらいしかないけど...」
という話を覚えてくれておられました。
後日サツマイモを山盛りに送ってきてくださいました。
茨城産の紅優甘(べにゆうか)
とっても形のきれいなサツマイモです。
本当にありがたいことです。
これで次回のこども食堂のメニューが一品増やせます!
こどもたちの喜ぶ顔が目に浮かびます。
これからも、まちのこどもたちの笑顔のために!
今日も前を向いて歩こう!
2016.12.16
お墓の相談があるとのことで門徒さんの家を訪問。
おばあちゃん1人暮らしで外にも出られないというのでご自宅にお邪魔しました。
その話はほどほどに、他の悩みもまとめて聞いていました。
「こないだ配達してもらった年賀状、全部無くしてしまった」
家に帰ってもなんだか気になったので、午後からもう一度家を覗いてみました。
歩くのもやっとなのに、家中を探し回っておられました。
「僕も探すの手伝うね」
年賀状の捜索活動が始まりました。
「あったよーーー!」
年賀状の束を手渡すと、それはもう喜んでくれました。
おばあちゃんに幸せをおすそわけしてもらったような気がします。
自分以外の誰かのために働くことは大切です。
こんな自分でも誰かのために役に立つ。
そう思えたらいろんなことが自分の使命に思えます。
自分がここにいる意味がきっとある。
今日も前を向いて歩こう!
2016.12.15
ある門徒さんのお仏壇の整理をお手伝いしました。
亡くなったご両親やそれ以前からのものが引き出しなどにたくさん入っていました。
「どれが大事でどれが大事じゃないのか教えてほしくて...」
ひとつ一つの価値がどうかは、住職として助言できますが、
でもそれは私の価値観でしかありません。
それよりもそのものが伝えてくれる「意味」を知ることが大切だと思います。
新品のまっさらなお経本とぼろぼろに使い古されたお経本がありました。
どちらが価値があるかというと、古本屋さんだったら新品の方ですよね。
しかし、意味というと考え方が少し違います。
ご両親がぼろぼろになるまで持ち歩かれ、使い親しんだお経本は、
ご両親がこの世を歩み抜いた足跡と同じです。
人の人生に価値づけすることはできませんが、
その人が生きた「意味」が必ずあるのだと思います。
「仏は私たちに価値を与えるのではない。意味を与えるのだ」
以前聞かせていただいた言葉です。
意味のない人生なんてない。
「おらっちゃ、こっちの新しいお経本を、親のようにぼろぼろになるまで使ってみるちゃ」
「古い方はお寺さん預かってくだはれ。もう十分伝わったから」
有るものの価値だけにとらわれず、その意味を汲み取って、
前を向いて歩き始められる姿にうれしくなりました。
今日も前を向いて歩こう!
2016.12.13
養子として水橋の寺の住職となっておよそ13年。
月日の経つのは本当に早いものです。
実家である高岡のお寺に里帰りしました。
今年は実家の報恩講のお参りにも行けなかったので、遅くなりましたが家族で仏さまに手をあわせてきました。
ふるさとはいいものです。
家があるからとか楽だからとかではなく、ふるさとは心の落ち着く場所です。
心の落ち着く場所は必要です。
あの世はそういうところなんだそうです。
おじいちゃん、おばあちゃんは随分前に行っておられますが、私たちも必ずいける場所。
もうしばらくこっちでゆっくりしてからそっちに行きますね。
まだこっちでせんなんことがいっぱいあるので。
エネルギー充電完了!
明日も前を向いて歩こう!